令和2年8月9日廃村茨川


■ツチノコ探索で有名な山本素石さんの「山棲まんだら」という本で愛知川上流の茶屋川という支流の最上流部にあった「茨川」という廃村のことが書かれていました。昭和38まで人が住んでいて、昭和47年に、別荘的に利用していた持ち主の旧家に山本さんが釣りをしに泊まりに行く話。釣りや手づかみでイワナを捕りながら川を遡行する話や、囲炉裏を囲んでの家主とその娘さんと山本さんらの会話を通じて、村の成り立ちや暮らし向きなど、活き活きとした描写で伝わってきました。村があった頃、病人が出たら若者が交代で病人を背負って治田峠を越えて三重県に出ないといけなかったらしい。

■この本を読んで、今の茨川がどのようになっているのか見てみたくなって、同じく支流の御池川から、山本さんが歩いたように、ノタノ坂経由で茨川に行ってみました。あったのは、民家の区画の跡と・・・・山岳部の小屋や、河原を四駆で乗り入れて楽しんでおられるグループの方々。少々興ざめしてしまいました。

■仕方がないので、ツチノコを探しながら帰りました。残念ながらツチノコはいませんでしたが、帰ってから3カ所ヤマビルにやられていることが判明しました。痛みもなく吸い付かれて、しかもヒルジン(血液の凝固を阻害する物質)のせいで血がだらだら。

■西の御池川からノタノ坂を利用し茨川まで往復6.8km、3時間45分、累積標高546mの行程。


■水遊びで賑わう御池川の駐車場から出発。11:45


■御池川支流に沿った林道をノタノ坂入り口まで歩く。


■堰堤下のこの橋を渡るとノタノ坂。


■足下には敵がいる。


■峠の尾根。12:26


■やや細めの道を行く。





■やや急な下り坂になると下に小さな沢が見える。


■沢沿いに下る(振り返って撮影)。


■急に崖が現れ眼下に茶屋川。対岸が茨川のはず。しかし河原に四輪駆動車が見える。


■踏み跡を降りていく。


■やや無造作に置かれた仏様


■下流に堰堤でもあって砂が溜まったのか? 「山棲まんだら」を読んで受けた印象とやや違う。もっと岩がゴロゴロしていて、イワナが潜んでいるようなイメージだったけど。


■廃村なのに建物がある?


■と思ったら山岳部の小屋だった。


■その後ろには確かに住居跡。「山棲まんだら」には村のスケッチが載ってあったが、石積み以外家屋の跡形もない。


■しかし、確かに人が住んでいた。


■どんな暮らしだったんだろう。


■もう一つの廃村には似合わない小屋」。名古屋大学と書いてある。











■下流側にも車が見える。何やら上流、下流側とも騒がしい。時間があれば、上流にある三筋滝まで行こうかと思っていたが、上流側の騒がしい人たちの横をすり抜けるのと、徒渉を繰り返す必要がありそうで煩わしく、諦めて引き返すことに。また、気が向けば改めよう。


■帰り道をそれて、鉄塔の下に出てみた。藤原岳方向。


■御池岳


■小さな鳥がいたので、しばらく写真に納めようとする。














■コガラ。ここでしばらくじっとしていたのでヤマビルにやられていることにも気づかず。後で、血がだらだらで驚いた。


■なにかがぺしゃんこ。炭焼き窯跡のよう。


■川を渡る。意外と怖い。





■魚は絶対に登れない。





■アマゴが定位している。


■流れてくる昆虫を捕食








■これなら下流からドライフライを投げ込んだら簡単に釣れてしまいそう。久しぶりにフライフィッシングをしたくなった。


■黒い花かと思ったら違った。ハムシかな?


■少しがっかりなところもあったけど、人が住んでいた頃を想像しながら時代の流れを感じることができた良い山旅だった。15:22


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