令和4年12月uzu

4日(日)ホハレ峠について
■11月に徳山会館で買ったDVDに感化されて、買ってしまった単行本「ホハレ峠」。本の表紙のおばあさん(廣瀬ゆきえさん)が14歳の頃(今から約90年前)、おじさんに連れられ門入からホハレ峠を越え、さらに鳥越峠を越えて近江高山まで繭を売りに歩いた折り、鳥越峠で遠くに見えた海(琵琶湖)のきらめきに感動して忘れられないとの記述(要約)があります。

■「ホハレ峠」を読み進めると、滋賀とは関係ない土地と思っていた徳山村が、養蚕と二つの峠を通じて滋賀県長浜市の草野川沿いの高山町や草野町とつながりが深かったことが分かり驚きました。さらに表紙のおばあさんの若い頃の勤務先が、かつて彦根にあった紡績工場のカネボウとのこと

■「ホハレ峠」では、ゆきえさんの昔話から、その人生の記憶をなぞるように、著者が一人で、ゆきえさんがかつて過ごした北海道の羊蹄山の麓の真狩村、さらには八ヶ岳山麓まで追跡取材し、ゆきえさんの記憶を再生していきます。そして夫婦で徳山村に戻った後、ダム計画が持ち上がり、移転を余儀なくされ、それでもダム完成まで門入に住んだゆきえさんとご主人の司さん。そしてダム完成後の移転先でのゆきえさんと著者の永遠のお別れ。
ゆきえさんたちの人生を思うと私自身の人生がなんて薄っぺらいことか。

■今後も人々の記憶から消えていくような話ですが、DVDも「ホハレ峠」も昔の人のたくましさや朗らかさを教えてくれる貴重な記録です。徳山村を知るきっかけになった山本素石「逃げろツチノコ」に感謝!


3日(土)ホハレ峠
■最近、岐阜県の徳山ダムあたりをうろついていますが、今日は坂内村から自転車に乗り換えて、林道のホハレ峠まで往復しました。廃村徳山村の集落のうち最も高所で水没しなかった門入(かどにゅう)と南側の坂内村との境にある峠です。昔の村人は坂内村からさらに南の金糞岳中腹の鳥越峠を越えて滋賀県の近江高山まで歩いて繭を運んで現金収入を得ていたそうです(大西暢夫著「ホハレ峠」から要約)。

■林道のホハレ峠(厳密にはかつて村民が歩いた歩荷道であるホハレ峠とは違う)から、少し下りて林道工事で車止めのあるところまでは行けましたが、さらに門入に行くには斜面を歩かないと行けないようでした。


2日(金)秋から冬へ
■伊吹山がようやく冠雪しました。


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