令和4年11月uzu

27日(日)晴れの日の三島池
■日差しの中。モミジが透き通って見えました。


26日(土)田村神社
■土山にある田村神社へ行ってきました。平安時代の征夷大将軍坂上田村麻呂が祀られています。紅葉真っ盛りでした。


23日(水)雨の三島池と紅葉


19日(土)徳山の鏡山
■引き続き徳山ダム湖の周辺地図を眺めて登りやすそうな尾根があったので登ってみました。山の名前は鏡山です。地図には破線も書かれていませんでしたが、テープやリボンも付けられており、登る(物好きな?)人は他にもいらっしゃるようです。

■この尾根の下には徳山会館という資料館兼レストランがあるのですが、そこで「水になった村」というDVDを購入しました。帰ってから観てみましたが、ダムの着工前に代替地へ村民が移住した後も、数人のお年寄りがダムが運用されるまで現地に残ってそれまでの生活を続けており、それを湛水後の移住先も含めて長期に渡り取材されたドキュメントでした。沢や山でワサビや山菜を採ったり、保存食としていた大量の山菜の漬物を樽から取り出したり、ヨシノボリやカジカのような小魚を捕って食べたりといった山村での生活を知ることができたこと、ご老人たちの朗らかで素朴な語り口にほのかな感動を覚えました。ダム建設反対を訴えかけたようなものではありませんが、いろいろ考えさせるものがありました。

■先にも記しましたが、私が徳山村を知るきっかけになったのが山本素石「逃げろツチノコ」でのツチノコ探索の記述でした。私も山を歩いている時にはツチノコを探しながら歩いているのですが(笑)、徳山会館の管理人さんもツチノコを見たことがあるそうです。他の蛇にはないまだら模様だったそうです。ツチノコブームの時は捜索隊が来たりして賑やかだったそうですが、あるときパタッと話にも出なくなったそうです。


12日(土)冠山
■前回、徳山ダムからの廃道から冠山を眺めて、冠山に久しぶりに登りたくなって(十数年ぶり)、今回は徳山ダムを通り越して林道の頂点の冠峠から往復しました。峠からは標高差200m位で距離も短く、多少のアップダウンと頂上直下の岩場の急登がありますが2時間10分で往復できました。


6日(日)徳山ダムから廃道を経て県境尾根めざすが・・・
■徳山ダムの北端から国土地理院の地図に福井県境に続く破線が書かれてあり歩いてみました。やはり道とは行っても廃道状態で所々その名残の少し掘れた踏み跡のようなものがあるだけでした。県境まで行けるなら行くつもりでしたが標高1200m地点で笹藪に阻まれそこで引き返しました。途中、標高800m位から上部はブナ主体の森となり、しかも黄葉しておりとても綺麗でしたが、写真で表現するのは難しいと撮った写真を見て少々がっかりしました。


5日(土)
■余呉町の呉枯ノ峰の山中にある菅山寺に行ってきました。今回は東側の木之本町大見からで、往復約4kmのハイキング。紅葉を期待していましたが、まだ少し早かったようです。他に人もおらず静かでした。


3日(木)徳山ダム
■2008年に完成したロックフィルダムとして日本最大級のダムで揖斐川水系の上流にあります。1974年に刊行された山本素石「逃げろツチノコ」(2016年に再版)にまもなく着工と書かれているので、完成まで30年以上かかっています。この人造湖徳山湖の水底には徳山村の七つの集落が沈んでいます(標高が高い門入集落は沈んでいない)。集落の人たちは下流に移住されたとのことです。

■このダム湖の周りには能郷白山、冠山、金草山といったそうそうたる奥美濃の名峰がそびえています。秋が深まりつつある悲しくも美しい湖の周りをツチノコの面影を追いながら散策しました。




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